プロフィール

「夢は終わったんだ」

ある日の午後【本社】に呼ばれ 

社長・専務が厳しい面持ちで 

待ち構えていて、こう言われた。

「君は、どうやら 

うつ病なんじゃないのか?❢」

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わたしはこの言葉を

恩人でもある 社長の口 から聞いた

その日を境にして

「人生の方向が、180°」 全く反対方向へと

方向転換をする事になった。

 

その日から、

仕事が少しづつだが

干される様になっていった。

(そう感じた)

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しかし

認めざるを得ない現実。

「オレは 捨てられる…」

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まるで、

キツネかタヌキに化かされた様な。

築いてきたもの全てといってよい程

ガラガラ 

崩れて行く大きな音

が、聞こえた様な 気持ちだった。

「なんだよ コレ。。。?❢」

マジで


夢の様な「楽しかった日々」

ただひたすらに

とにかくガムシャらに

マジメに ひたすら 

会社に命を捧げるが如く働く

そんな 

昭和の初期のような

絵に書いた様な勤勉サラリーマン時代

真っ盛りの頃。

勤続10年半くらいだったかな・・

年齢は36歳の時だった。

部下は全員歳上と

かなりやり辛い環境だった。

割り振り・配車業務と運行管理。

顧客&社内の折衝、

お金の管理も運送部門では私が担当。

そして現場へも勿論出向いて

トラックでも走り回る日々。

本当に多忙だったし

休日も休んだ気がしなかった。

そんな頃

家族は、子供が2人生まれて

すでに四人になっていた。

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だがしかし

そんな 幸せの絶頂期に

私は、

朝昼夜中と留まる事の無い

仕事へのストレスとプレッシャーで

心がボロボロになってしまい

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遂に 

弱気な顔で妻に本音を漏らした。

「もう、終わりにしたい…」

窓際で持ち堪えれなくなった私は

男として、夫として

もう

これ以下は無い程の

後ろめたい気持ちでいっぱいだった。

 

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【やまる】 プロフィール 

 

※「やまる」は、ロシア地方のネネツ語で世界の果ての意味

年齢 : 40歳 (2016年12月現在)

生まれ: 1976年12月(いて座)

血液型: O型

住居地: 西東京 

身長 : 170㎝ 体重:55kg 

(細身で体力テストはいつも後ろの方。

 且つ腰痛持ちなのでムリが効かない体質)

職業 : 会社員(自動車を運ぶ トラックの運転手)

趣味 : ハマった仕事をやり抜く事・車あそび

好きな食べ物: 甘いものが割りと好き

性格 : 真面目な方だが…非几帳面になったO型

家族 : 奥さんと子供が2人♂ (二男は発達障害と自閉症の障害有)

 

私の勤めていたS社は

東京の港区に本社があった。

リニア中央新幹線の工事で話題の

JR品川駅のすぐ傍にある。

わたしは

入社して1年経ったころから

神奈川県西部の支店へ転勤となり

毎日1.5~2時間を掛けて

車かバイクでの通勤をでした。

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業務内容は

イベント対応業務等の比率が高かった。

神奈川県に本社を置く

国内自動車最大手級メーカーさんの

直下請けとして

色々な分野で、仕事を請け負っていた。

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メーカーの景気V字回復にうまく追従し

基盤を徐々に強固なものにし、

業界内でだんだんと知る人が増え始めた

そんな

華の成長期であったと記憶している。

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その

自動車メーカー本体からも直の仕事を貰える、

素晴らしい環境であったこの会社 

(業界では直接受注は零細企業では稀だろう)。

入社3年で

取締役として任を受けてから

僅か7年間。

運送事業の立ち上げから

その後、仕事のまわしやトラックの製作など。

そして人事管理まで、

社内の

かなりの部分を任せて貰えていた。

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無論、

運送以外にも多様な仕事を請けており、

自動車関係のイベントの設営や

設置業務のほかに

諸々、付随する仕事も受注し

整備工場も自社で保有し、

日々業績アップに勤しんでいた。

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そのころ 従業員は

20名を越える、零細企業を抜け出るころの話。

売上がガンガン上がり

社長が喜んでいたし

皆もハツラツとしていた。

「最高ッ~!!」

とにかく 毎日が楽しかった。

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人生

全部が仕事だけでも、やっていける!

そう思えるほど 楽しかった。


苦しい時も勿論あった。

リーマンショックにも耐えた。

9.11.東日本大震災の

仕事の激減にも耐え抜いた。

あの時は

仕事のキャンセルが続出し

3ヶ月くらい

収益が無いに等しかったのにも関わらず

本当に

よく倒産しなかったと

今でも 経営者であった社長に

深い尊敬の想いがある。

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わたしと妻とが結婚する前に、

妻の金銭大トラブルが起きた時にも

強いフォローをしてくれた、

恩人である「社長」。

その「社長」にも、

実の息子である後継がおり

ちょうど後継となるそのT氏に

会社を譲るタイミングとなる寸前

その頃の出来事であった。


後継者の彼は

とても

「ゆったり」とした方でした。

今思えば

とんでもない話なのだが

私、やまる_は、

そんな彼の仕事のペースや

やり取りに

(#゚Д゚)イラっ 

とすることが

多かった様に記憶している。

其れ故に

その気持ちを言葉にもして

当ててしまうこともあった。

仕事は

「真剣なくらいで丁度いい」

そう、信じていたし

会社がそういう社風で纏まっていたので

真面目にやっていたつもりであった。

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しかし、

私、やまる_は

非常に

大きな勘違いをしていた。

この会社は

わたしの会社ではない

社長と社長の息子T氏の

会社であるという事実を

すっかりと、忘れているほどの 

自惚れがあった

精神科へ掛かる事を強制され

医師の所見が「鬱の可能性があり」

そう、聞くやいなや

私、やまる_は行動の自由を奪われ、

決済権も剥奪同然。

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通勤の手段も奪われ 

トラックも乗用車も運転も禁止、

そして

残業は一人だけ禁止。

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そして 全員が歳上であったが

私の部署へ激励に来てくれた T氏 は

全員を集めてから、こう言った。

↓ ↓ ↓

「やまる_君は、心の病気なので、

皆でフォローして下さいね」

と。。。

037

そして

勤務時間中でも構わないから精神科医へ通う様に! 

と指示を受けたとき

私、やまる_は

遠まわしな 引き際を示されたと感じた。

何故なら、

私は 受診してもしていなくても

投薬しても しなくても

精神状態は 大した変化はなかったし

変化していない事実を

周囲も認めていたから。

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今さらであるが

冒頭に書いた 社長の言葉の真意 は、

会社を辞めた 今でも分からない

「果たして、優しさからの言葉だったのか。どうか??・・・・」

だが、己の身の程知らずで

気位が高かったわたしは

窓際の席に座るつもりはなかった。

だから、

自分から【退職】をする道を選んだ。

そんな私ですから

送別会は、とくに行われなかった。

仕事を失った私は

本当に抜け殻の様な有様だったと思う。

生きる「意味」を見失った

その頃、

わたしは 上手く行かない事は 

すべてを「人のせい」にしていた。

そして、

わたしを追い込んだ同僚と上司を

恨んでいた…

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現場にも出て、フェリーにも乗り北海道へ。

時には沖縄までと

四季を問わずに日本中を

走り歩いていた在職中。

お陰で

公私ともに、色々な人と繋がる事が出来た。

深夜残業が毎日続いたり、

展示イベントの仕込みで朝まで作業をしたり。。

けど

とても「仕事」と思えないほど、毎日が楽しかった。

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仲間から

「天職だね!」って、言われた事もあった。

其れ故にわたしは、

人生で最大級の入れ込みをした

この会社を去る際

非常に大きな虚しさを感じていた。

10年で倍以上に成長し、

●億近い売上を上げた時。 

零細企業なのに

こんなに成長したことを

誇りに思ったものだ。

魅力的な会社に成長出来た途上に

私、がその場に居れたことは

何物にも代え難い程の、達成感であった

この会社を、

私、やまる_は

自分の会社の様に 思っていた。

愛していた。

それは

単なる自惚れ なんだけどね。。。

そう、いまにして思えば

逆恨みしても自分が傷つくだけなのにね。

よくも飽きずに

己を棚に上げて

恨めしく思っていたもんだ。

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その頃、

私、やまる_の 【二男】は

日々の挙動の違和感から

何人もの医師の

受診を繰り返した結果

閉症】と【精神遅滞】である事実が、

専門医の診断によって告げられた。

■愛の手帳「3級」

そう、

障害者手帳を発行して貰える所見だった

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わたしは

その時から

障害児の親 として、

生きるスタートラインに立ったのだ。

まさに、

本当の試練の始りだったかなと

いまにしてみれば、そう思う。

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「なんであの会社を辞めたの!?」

いまにして思えば大袈裟だけれど

経済面も地位/名誉も失い、

わたしを知る人から掛けられる、

月並みのこの言葉にも

毎日が「苦痛」だった。

会社を去る時に会社の経営側に立っていると

失業保険が出ないと聞くので

尚更耳が痛かった。

(労災も同様)

インターネットビジネスで「大海原」

別の陸送会社に運転手として

入社内定を貰って居たが

目指すものを見つけたくて

僅か数万しか出なかった退職金を元に

失業時期に入ったスクールが

インターネット上で見掛けた

3ヶ月通信制「中国輸入転売の通信型」

高額スクールだった。

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人生初のインターネットビジネスに 

足を踏み入れた時だった。

広告では、

「失敗は有り得ません。安心して入校下さい」と。

だから相当張り切っていたんだけど…‥

結果から言うと

「惨敗」

「え?なんだよ? この数字?❣」

入校から2ヶ月経過した時の

自分のAmazon出品サイトの

あまりに低き売上額を見たとき

思わず叫んでしまった。。。

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350名以上も居るスクール生の為か

その年のクリスマスシーズンとなる

一年で一番稼げるという「クリスマス商戦」は

完全な大赤字に見舞われた。

恐らく、かなりの数の塾生が

同様の思いをしただろうと思う。

いまにして考えればわかるが

そりゃそうだ。

配布紹介されたツールを使い

自分で深い考えもしないで

Amazon出品ページの中で

他店の売れ行きのいい商品に対し

「被せ」と呼ばれる

姑息な方法で簡単に出品。

そんな手法が売りの

塾だったから。

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みーんなが同じ商品を扱えば

当然 価格は崩壊する。

思いつく

商品選定「キーワード」の勉強

ほぼ行われなかった為

単純なキーワードに

売り手が、群がる群がる。。。。

更に商売のど素人ばかりが

350人も集まっているのだから

教材に書かれている内容の猿真似合戦。

もう、泥舟もいいところ。

例えば

ひとつのアマゾンの販売ページに

【出品者200名】

そんなになってしまった品もあったっけ。。。

コレは

1個売れるまで

1年以上掛かるかもな、、、、と

素人の私でも分かった程だ。

売値が本来の80~90%値引き合戦

なってしまったりして

明らかに【捨て】て しまった方が

損が少ないと 思えた程。

つまり「飽和」した

実は

国内転売(せどり)と違い

中国仕入れの場合は

発注してから手元に届くまで

1ヶ月くらい掛かることもある為

出品者が激増してゆくのがわかっても

発注した以上は

路線変更して販売しない様に

もっていくのが困難。

ゆえに、

ライバルの存在というものを

軽視したスクール内容だった為

とんでもない結末となりましたとさw

オソロしや

ネットビジネス。。。。

何が簡単に稼げますだよ。。。

やはり

ネットビジネスは胡散臭い。

「騙された」

そんな気持ちになったのを覚えている。

インターネットビジネスは「詐欺か?」

それからは、その反省を踏まえて

同期の学びをして出来た友人と、

細々とやり方を自分たちで模索し

月商10~30万を行ったり来たりして 

中国輸入(転売)をメイン

にして、副業活動。

初年度~2年間は

月収にして 3万円程かな。。。

ずーっと微妙な副業を、続けていたんだ。

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そんなつい半年前のある日、

「ロット違い」の

女性モノの衣服(レギンス)に

相当な問題があったようで…‥

購入者の女性から

厳しく架電で怒られたんだよね。

「誠に申し訳ございません…」

40分は、電話でお訓示を頂いただろうか。。。

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サンプル品を確認してから

発送しているのに

どうしたらこの事象は防げるのか?

改めて

本気で考える機会となった。

そして

出た結論は、、、、

中国からの安価な輸入品は

製品の品質や精度に支障があるものが

少なくない。

品質管理に気を揉んで

僅かな月利で苦しむのであれば

国内転売(せどり)をしてみてはどうだろうか・・・・ と。

「中国輸入」「せどり」へ方針転換

そこから、

国内転売(せどり)開始。

2015年の10月

勿論、

中国輸入の在庫もまだまだあるので

併行しての販売だ。

2015年 10月

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いままで通りの感じで月商は22.1万円。

自転車などのスポーツ用品で、

若干売れた方だったけど(^_^;)

月利4.05万程だった。

2015年 11月

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なんと、月商は20.2万と

売上は下がってしまったではないか! Σ(゚д゚lll)

そりゃそうだ。 店舗を廻ったのは2件/月だけ。

本業が忙しすぎて、泣きそうだ。。。

仕入があまり無かった為、月利は4.8万程だった。

2015年 12月

FireShot Capture 80 - 売上ダッシュボード_ - https___sellercentral-japan.amazon 2015-12月

やっと、第一目標の月商35万に到達した。

前月の10万UPの目標を達成。

月利7.3万だった。

しかし、まだまだだよね (*´ノд) ~

2016年 1月

「電脳仕入 + 店舗仕入」のバランスを模索している。

どこで仕入ようとも、出品して販売出来なければ

なんの意味もない。

2016年 1月

FireShot Capture 127 - 売上ダッシュボード_ - 2016-01-31

1月の集計は、41万となった。

利益は78521円

クリスマス時期の売れ残りが、価格低下したこと。

余った在庫の回転が鈍ったことなどが

利益率低下を招いた。。

本当にクリスマス商戦と呼ばれる時期を

逃すと

売上が伸びなくなるんだなーと実感!

残念w。

無論、家族との時間を増やしたことで

作業時間と仕入時間が

平日の多い日常よりも低下したことも

原因のひとつかも知れない。

これについては

予防策を検討しないといけないね。

・・・・・・。

そんなこんなで、

ちょっと踏ん張ってみました。

2016年 6月

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利益は、ざっと18万位かな。

ちょっと少ないですねw


そんな訳で

日々、本業のトラック稼業と並行して

奮闘を続けております。

今年内の目標は

副業で毎月収20万

達成したいですね☆

↓ ↓ ↓

トラック稼業の日誌はこちら

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